Abox People Vol.3 「写真家 中西敏貴 スペシャルインタビュー」前編

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写真家 中西敏貴 スペシャルインタビュー 前編

個展「Design」のために上京なさった機会を利用して『写真家 中西敏貴の風景写真講座 &作品講評会』が開催されました。大活躍中の中西さんにお話を伺いました。

聞き手 : 高崎勉(Abox Photo Academy 塾長) / 成田洋紀(Abox Photo Academy 事務局長)

【First Contact】

高崎:中西さんとは2013年のJPCO(日本の写真文化を海外へプロジェクト)の最初の写真展「First Contact」の会場でお目にかかったのが初めてでしたよね。

中西:そうでしたね。

高崎:そのあと、JPCOが写真家12名の写真集を出すことになって、再び中西さんに声をかけたんです。確か銀座の喫茶店でJPCO代表の柴田氏と三人で打ち合わせをしたんですが、打合せが終わってから「いつか互いのフィールドで写真講座をやりたいね。」って話をしたのを覚えてます。

中西:高崎さんとは初めて会った時からフィーリングが合ったので、打ち合わせに関係ない話もしましたね。(笑)

成田:でも、お互いに全然ジャンルが違うじゃないですか。

中西:僕もまあ、写真を仕事にしてはいますけど、高崎さんとは全然違う、、高崎さんはもう長くプロフェッショナルとして活動なさってますけど、僕なんていうのはもうただ好き勝手に撮ってきただけなんで、写真学校出てるわけじゃないし、別世界の人だと思ってたんです。だけどお話ししてると目指してるところが似ている感じがしたんです。だから「いつか何か一緒にやりたいですよね。」みたいな話をしましたね。

高崎:そうでした。初っ端からそういう話ばかりしてましたよね。そして、それが今日実現するんですよ。。中西さんに限らず、講師の方にはここを利用して他にはない講座をやっていただきたいと思っているんです。

中西:今日これから講座でお話しする内容って、風景写真のことなんですが、、、。写真業界の中では、まあメジャーなんだけど僕ら風景写真に取り組んでいる人って以外とニッチなメンバーでやってるんです。キャッチーだから世に出て行くのは多くて、でもそのキャッチーなところにだけ意識が向きがちで、、。例えば最近だと「絶景」もそうだし、、、なんていうか、HDRがバリバリに効いた肉眼を超えたような、そういう世界が風景写真だと思われている風潮があって、でも僕ら本気で風景写真をやっている連中というのは、写真表現のその先を見ていて、要はその、過去日本の人たちが綿々と作り上げてきた美意識みたいなところをたまたま僕らはカメラを使って表現していくんだと。それを対象が自然だから風景写真というジャンルに押し込められているんだけど、多分やろうとしていることは高崎さんと何も変わらなくって、、ただ、高崎さんはアートの方に寄ってる。僕らは少しキャッチーな方に寄ってるというだけなんです。たぶん振り幅で言ったら同じベクトルにいるはずなんですよ。

高崎:僕もそう思います。

中西:でも僕らも仲間でいろいろ話しているのが、やっぱ風景写真というのが今新しい転換期に、、新しいジャンルに入りかけているなと。で、今までは「ここの場所に行って、ここに三脚立てて、絞りをいくつ、シャッターいくつにセットして押せば、こういう風に写りますよ~。」というのが風景写真の教え方だった。でも造形だったりとか、場所に撮らされない、、、自分がどいういう想いを持って自然と向き合っているか。っていうところに行かないといけないと思うんです。。今日の講座は開校前のプレワークショップということで要素が全部入りなんですけど。最終的には風景写真を通して表現を突き詰めていく人を育てていきたいなと思います。

成田:それは、我々が塾長の高崎といつも話していることと同じで、そういう方を育てて
いきたいっていうのがありますね。

中西:今って目立ってナンボっていう世界じゃないですか。なんかあれってなんか違うなって。僕は思っているんですけど。今ってスマホで写真を見る世界でしょ。これでパッと引っ掛かるかどうかっていう。本来そういうもんじゃないだろうって。。昔の人ってカメラがなかったから絵に描いてたし、それが単純に道具がカメラになっただけで、、、、極端な話、絞り値なんかどうだっていいんですよ。開放か絞りきるかの選択があればいい。(笑)

成田:今の時代って写真を目にする機会は多いんだけど、僕はもっと気軽に家に写真を飾れる文化にしたいんですよ。海外にはあるけど日本には全然ない。そもそも写真を買うっていう文化がない。その中で写真を買って飾るっていう文化を根付かせたいって思っているんです。

中西:それは写真に関わる方、みんなが思っていることですね。

成田:日本人は元々そうだったわけじゃなくて昔はあった筈なんです。掛軸とか襖絵ってあったわけですよね。

高崎:子供の頃に友達の家に行くと大抵玄関に、武者小路実篤の色紙が飾ってあったしね。

成田:そうそう、文化が劣化しちゃったんですよね。僕は欲しい写真は買って飾るのが好きなんですけど、やっぱり今の世の中では圧倒的に少数派ですよね。

中西:写真って、はっきり言って贅沢品でしょ。あってもなくっても人間が生きていくのに絶対必要なものじゃないし、でも、それって昔で言うと、(尾形)光琳が書いていた襖絵ってそうだったと思うんですよ。あの時代ですら多分贅沢品だったと思うんです。庶民が自宅に絵を飾るだなんて相当な贅沢ですよ。だからお金持ちが絵師を雇って俺の絵を描け。って、ここに描けって、、。それが江戸に入って庶民が多少稼げるようになって、絵が欲しいなって思うようになって、、でも高級な狩野派とか琳派とか手が出せない人たちのために生み出されたのが浮世絵だと思うんです。団扇に絵を書いたりとか、、、だから時代的にも高級なものと庶民的なものとが生まれるんでしょう。写真もそれこそ、グルスキーの写真じゃないけど4億で売れる写真と数万円で買える写真と振り幅をユーザーに提案して「写真は高いものだ」って思っている人もいるし、その辺の同時プリント屋さんで1枚八十円でプリントできるのも写真なのに、どうしてこれ5万円もしてんの?って思う人もいるじゃないですか。写真を買う文化を育てるために「写真ってこういうものだ」っていう、贅沢品でもあり身近なものでもあるから、買って飾るのが贅沢ではあるけども自分の生活が豊かになる一つだよ。っていうライフスタイルとしての提案をしていかなければならないんでしょうね。「写真家育てるために買いましょうよ。」では狭くなってしまう。やはり言っても贅沢品ですよ。そう思いません、高崎さん。

高崎:ええ、そう思いますよ。僕らの作品も決して安くはないし。

中西:日本の住宅事情からすると、壁は少ないし、でも本当は「ここに大きな写真を飾りたいから、設計段階から壁のスペースを空けておこう」ってなって欲しいですよね。そこを四季で作品を変えていくとか。

成田:つまりは床の間ですよね。。

中西:そうそう。で、こないだ見たけど和室に写真飾ってあるの、格好いいですよね。

高崎:そうですね。うちも実家に写真飾られてるけど、中途半端に古い家でも合いますよ。KYOTOGRAPHYでも歴史的なお寺に写真作品を展示して、ある意味提案してるわけですよ。合わないはずがない。

中西:昔の人が襖や屏風に描いたたりとかって、あの当時としても相当贅沢なことですからね。その贅沢品を愛でる心というか、それが乏しくなっているのかもしれない。一般的に絵は買うっていう概念があるかもしれないけど写真を買おうっていう概念はないかもしれない。それは写真文化自体がまだまだ成熟していない。せいぜい200年しか経っていない文化だから。しかもこんなに万人がカメラマンだという。。

高崎:だから問われているんですよ。我々が。

中西:逆に言うと誰でも撮れるからこそ、突き抜けてしまえば価値が生まれる可能性もあるわけです。多分、昔も墨絵とか町の絵描きってちょっと絵心のあるお坊さんとかが、いっぱい書いていたと思うんですよね。写真は誰でも撮れるからこそ爆発が起こる可能性もあるのだろうと。

高崎:いや、僕の周りではその爆発現象がもうが起きているんですよ。例えばうちのアートフォトコースを担当する講師の松下龍士も一般の会社員ですよ。だけど自分の暮らしの中で沸々と湧いてきたものがあって、それを写真に表現してアーティストとして立派に活躍しているんです。そういう人がどんどん増えていますよ。逆に僕らが今までやってきたコマーシャルのようにクライアントやアートディレクターからお題を出されて撮ることしかできない人はこれからどんどん、しんどくなってきますよ。僕はギリギリのところでコマーシャルとアートの両輪を回すことができましたけど。僕に対しては「両方やっていけるはずがない。」ってよく言われますけど、それはそれでやはり前例がなくても突き抜けていくしかないんだろうなって。そんな甘い時代じゃないんだけど。

中西:表現の写真で食っていけるかっていう大きな命題はあって、やっぱりプロである以上食っていかなきゃならないわけじゃないですか。僕もずっと独立当初から大きな至上命題で。自分の撮りたいものだけ撮って食っていければいいんですけど、なかなかねえ。幸い、僕は好きな風景写真を撮ってなんとか食えてるんで幸せなことだと思いますけど。それでもやっぱり、もっと突き抜けたものをやりたいですよね。

高崎:(成田に対して)僕と近いでしょ、考え方が。(笑)

成田:近いですね。(笑)

高崎:そりゃ、最初から波長が合うわな。って感じ。でもね、これ違うジャンルで活動してて、生い立ちも写真との関わり方も全く違うからこそ面白いんだよね。

中西:でも僕は高崎さんとはジャンルが違うとはあんまり思ってなくて、切り口が違うだけで、やろうとしている根底は同じなんですよ。根底には造形感があり、形でものを見るっ
ていうのがあり、僕らはそれと風景を組み合わせていくっていうスタンスで。ただ、僕らのやっていることはかなりキャッチーですよね。でもキャッチーって重要でね。何も知らない人に届けるっていう入り口としては重要だと思ってます。ただ、ずーっと風景やってきて、アートの人たちにすっごい下に見られてるんですよ。

成田:それはありますね。よく耳にします。「行きゃあ誰でも撮れるんじゃん。」、みた
いに。でも中西さんの作品は、そこに居ても撮れないんだろうな。って思わせられる。

中西:東川のフォトフェスってやってるでしょ。毎年レビュワーの方が来られてレビューがあるんですよ。僕も昔、アマチュア時代に何度かポートフォリオ持って行ったんだけど、まともに見てくれないですよ。パラパラ~と見て「あ、風景ね。。」って。「まあ、三脚立てれば俺でも取れるわなあ。」って言われた。

高崎:でも、その悔しさが中西さんの原動力に繋がっているんでしょうね。

【アマチュアからプロの道へ】

高崎:このインタビューでは皆さんにお聞きしていこうと思っていることなんですけど、中西さんはどうして写真を始められたのですか?Aboxには様々な方が学びに来られるので、中西敏貴という写真家がどのように生まれたのか、みんな知りたいと思うんです。

中西:写真始めたきっかけは高校3年生の時に友達が持ってた「α7000(初期のオートフォーカス一眼レフ)」っていうカメラを借りて、パシャって撮ったら後ろがボケボケだったんですよ。ピント面がバッチリ立ってて。なんじゃこりゃ。面白いじゃん。って。それで大学1年生の時に写真部に入ったんですよ。もともとバンドやってて、ライブハウスとかにも出てたんです。プロになりたくて軽音楽部に入ろうと思って部室のドアをノックしたら、こんなモヒカンのお兄ちゃんばっかりで、、「あっ、これ、なんか違うな。」と。(笑)

高崎:音楽のジャンルは何だったんですか?

中西:ロックです。楽器はギターでした。目的は一つ。モテたいなと。。

高崎:あぁ、大事ですよね。(笑)

中西:で、軽音部はダメだなと思って、「そうだ、α7000で撮ったあの写真面白かったし、写真って何か新しい世界切り拓けそうだな。」と思って軽音部のひとつ下の階にあった写真部を訪れたら超ウエルカムで、、。そして入部して大学の4年間写真にのめり込んだんですけど、当時はモノクロでスナップ撮ってましたね。

高崎:で、お仕事としては写真関係ではない、普通の会社に就職なさったんでしたっけ?

中西:そうです、会社員ではなく公務員でしたけど。当時、僕のいた大学の写真部は結構実力のある写真部で、先輩方が自分で商業写真のスタジオを開いたりして、プロとして活動してる方もいました。「俺もプロになりたいな~。」って思って先輩方に相談したら、ちょうどバブルが終わりかけぐらいだったんで「ダメだ、これから商業写真家は仕事が減っていく。今無理してプロになっても、後々苦労するのが目に見えているから一回就職しろ。」と。「社会経験してからでも遅くないぞ」ということですね。特に「写真学校とか大学出てすぐに写真の世界入っちゃうと世間がわからなくて、結局写真業界だって人間関係なんだからまず就職した方がいいんじゃないか」とも他の先輩に言われて。じゃあ、一回就職して自分が何を撮りたいのか、考えながらまとめようかなって。

高崎:ではその時点で、既に写真家になると決意していらしたんですか?

中西:そうそう。18の時に写真で食っていきたいなぁ~。っていうのは漠然とあったんです。どうやって食っていくかとかは何もわかんなかったですけど、だから商業写真の世界に入っていくというのが、先輩たち見てたらそれが当たり前だと思ってた。

高崎:大学は東京ですか?

中西:いや大阪です。当時ウチの写真部を指導くださってた先生が滋賀県で結構有名な学校写真やアルバム写真の世界では有名な方で。そこに行って修行するっていうのが写真部の流れだったんです。僕もそこに行こうと思ってたんだけど、その先生からも言われた。「いや~、やめたほうがいい、今無理して頑張ってもだんだん食えなくなるから。」って

高崎:その頃、無理して続けちゃったのが僕だ。(笑)

中西:(笑)当時はだいたいみんなそうでしょ、習った先生のところに行って就職してってなるんですけど、一回冷静に考えてみようかって。

高崎:だいたい何年くらいお勤めしてたんですか?

中西:18年ですかね。僕の中では2~3年で区切りつけて、写真家になるって思ってたんですけど、一回就職して写真の世界を端から見てたら、みんな苦労してましたね。知り合いに聞いても「食えない、食えない」って言って。自分でもじゃあ何が撮りたいんだろう。って考えて。僕は当時から自然&風景に入ってたんですけど、。

高崎:でも大学生の頃にはまだ自然、風景にのめりこむとは思ってないわけですよね。

中西:大学4年生の時に北海道に旅行してるんですよ。

高崎:それがきっかけなんだ。

中西:18歳の時にも一回北海道に来てるんですよ。バイクで。「カニ族」って言うんだったかな。大きなリュック背負って。その時は北海道楽しいなって思って、それから4年生の時に行き直して。その時ってお金がなかったからリバーサルフィルムなんて買えなかったんですけど先輩からフジのベルビアを1本いただいて、それで撮った仕上がりを見たら超絶綺麗だった。(笑)カラー写真って面白いって初めて思った。それまではモノクロで光と影しか見てなかったから、面白いなーって思って、それでカラーで風景やるんだったら北海道でやりたいって思うようになったんです。それが21歳ですね。普通就職したら、北海道旅行にばかりは行けないですよね。でも可能な限り、有給、GW、夏休み、正月休み使って北海道通いが18年続いたんです。

高崎:よく情熱が18年も持続しましたね。

中西:結果的に18年。でも、どのタイミングで独立するかはずっと見計らっていました。どこで辞めようかなって。

高崎:そうすると40歳か。

中西:今やってて思うんですけど、結局風景と対峙するって自分が映し鏡なんですよ。自分の人生観とか、物事を見る目が深まっていかないと浅い写真しかとれない。それだとやっぱり、仕事にならないんですよ。表面的なうわべだけ綺麗でキャッチーな写真ばかりになっちゃって。それに今だから気付けるんですけど、当時わかんなくてずっと悩んでたんですよ。いろんな写真を撮ってたけど人に見てもらっても「こんなんじゃダメだよ。」って言われて、ずーっと悩んでた。でもやぱり我慢できないんですよ、抑えきれない。これを仕事にしたいっていう衝動がずっとあって、で、結婚したり子供生まれたり、なんだかんだ続いて、辞めるタイミングを逸しながら、、、。で、ある時嫁さんに、「本当に我慢できないんだよ。」って言ったら、「今やらないと一生できないから、やった方がいいんじゃない。。」って。

高崎:それはもう有名なお話で、大変だったでしょうけど素敵ですよね。

中西;ホント、ホント。(笑)嫁さんには家族や救われてますよ、、。で、2010年くらいですよ。その話が出たのが。で、結果的に2012年の4月に北海道に移住したんです。

高崎:確かご家族で移住される前に単身で行かれてた期間がありましたよね。

中西:それが2012年の4月からです。

高崎:その辺りのことは雑誌の記事を読ませていただきましたが、単身北海道に飛んでブライダルの写真の仕事をしながら風景の作品を撮っていかれたと。

中西:ずうっとアマチュア時代にお世話になってた写真家の飯塚達央さんっていう方がいるんですが、彼も大阪から北海道に移住して苦労してやって来てるんで、僕みたいなのを見て可愛がって面倒見てくれたんですよ。彼に「今やったって無理だからもうちょっとサラリーマンで頑張れ。」って言われていたんです。でも僕が決意して「行きます!」って言ったら彼としても「こりゃなんとかしてやらなきゃ。」ってことで「スタジオやってるからブライダルとか仕事はいろいろあるからうちにおいで。」って言ってくださったんです。そこでブライダル手伝わせてもらって2年くらいやってましたね。

高崎:40歳までのアマチュア時代には作品を撮って雑誌に投稿したりなさってたんですか。

中西:ちょこちょこ出したりしてましたけど、雑誌「風景写真」の石川薫編集長に知り合ってたんで掲載してもらったりはしてました。

高崎:アマチュアだった中西さんが、そんな凄い方とどうやって知り合われたのですか?

中西:売り込みに行ったんです。自分で編集部に。

高崎:そのまんまだね。体当たり気質というか、相手にも響いたんでしょうね。

中西:もう石川さんと会えばその話ばかりですよ。初めて売り込みに行った時にパッと見て「まあ上手いけど、それ以上でも以下でもないね。」って(笑)

高崎:僕も最初にギャラリーにプレゼンした時に同じこと言われた。(笑)

中西:何が語りたいのか。見えないって。

高崎:やっぱりそこを見抜かれちゃうんですね。

中西:石川編集長の所に売り込みにくる方ってそんな方ばっかりなんです。で、石川さんって結構厳しい方なんですけど、それでも負けじと何回もくる方って、ほんの一握りなんですって。だからこそ今はしっかり、がっちり四つで組んで下さってるんでしょうね。僕もなんとか、それに応えなきゃっていうのがあります。

高崎:で、今に至るわけなんですね。

中西:そうです。2014年までの2年間で単身赴任で北海道に行って、カミさんに「2年間で食えるようにならなかったら、もう辞めて帰ってきてね。」って言われました。もう死に物狂いでしたね。カミさんの存在はでかいですよ。

高崎:お互いそうですよねえ。

中西:背中押してくれるっていうか、やっぱ、男って家族がいると「失敗したらどうしよう」とか考えがちじゃないですか。

高崎:守りに入っちゃう時ってありますよね。

中西:「失敗したら、何か他の仕事したらいいから、とにかくやってみたら。」って言ってくれたおかげで死に物狂いでしたよ。結果出さなきゃならないから。だから2012年独立して、お金もかかるけど写真展もやり、紹介してもらったいろんな雑誌編集部に売り込みに行って、で、ちょっとずつお仕事いただくようになって。こういう業界って、ひとつ仕事すると広がるじゃないですか。そこから、高崎さんのところと繋がったんですよね。

高崎:僕のところって、JPCOの事ですよね。あれは理事長の柴田さんが「いい風景写真家人いるから。」って紹介いただいたんです。僕もにスタジオに閉じこもって写真撮るだけの人生だったんだけど、柴田さんからJPCOを手伝って欲しい。って言われてから、いろんな写真家に会うようになりましたから。それが2013年なんですよ。で、JPCO写真集が翌年の2014年。奇しくも中西さんの(死に物狂い)の期間に当てはまるんですよね。

中西:そうでしたね。

>> 後編へ続く